手打ち蕎麦という表現は・・
「 手打ちそば 」
今ではすっかり市民権を得た言葉となっていますが、
一体いつから、どのような意味でその言葉があったのか。
答えは謎~ ですが、
『反古染』(越智為久著/宝暦三年/1753写)
という史料には、↓。
「元文(1736-1741年)。の頃より夜鷹蕎麦切、
其後(そのご)手打蕎麦切、大平盛り、
宝暦(1751-1764年)の頃、風鈴蕎麦切品々出る」
っと、あるようなので、江戸の中期頃には
あった言葉だったようです。
まあ、いつからかということは深く追求しないとして、
なんで「 手打ち 」という言葉なのか・・・
手で作ったものも(道具は使います)
機械で作ったものも
その工程において「 打つ 」と呼ばれるような
作業が存在しないんです ^^;
「 水回し 」「 練り 」「 延し 」「 切り 」
そのあと、言うとするならば「 振るう 」
この一連の作業の中に「 打つ 」という表現に
ふさわしい行動はまったく存在しません。
知人の意見では、
「手打蕎麦切」の「手打」は、事の成就を願って「手を打つ」。
無事終わったことを祝して「手を打つ」、
「敵を打(討)つ」などの意を持たせた
造語であったとのでは?と。
↑前後にかなり詳しい解説があるのですが省略 ^^;
現代のそば屋の冗談話で
「 そばを作るときにパンッと、手を打ったら手打ちだよ 」
という話があるのですが、
もしかしたら、あながち冗談でもないのかも!?
本当のところは定かではありませんが、
どうもしっくりとこない、この「 そばを打つ 」をいう表現。
私は「 そば作り 」という表現が好きです。
そこに作り手の思いがあるのですから。
道具や機械に使われずに、
自分自身がその特性を良く理解し使いこなす。
食される方の「 美味しい 」の言葉、笑顔のために
作るのですから。